- 1 名前:パニックスイッチφ ★@\(^o^)/>:2016/05/27(金) 07:03:02.93 ID:CAP_USER9.net
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【特別寄稿】TBSアナ久保田智子「私の広島、私達のヒロシマ」
久保田智子(TBSアナウンサー)
<広島出身者にとっての故郷「広島」と、原爆が落とされた場所「ヒロシマ」。広島がカタカナになったとき、
それは「誰かが語る広島」に変容し、ときに一人歩きさえしてきた。一方で、これまでなかなか伝わってこなかったのが
広島の人々にとっての「広島」だ。広島出身アナウンサーの久保田智子氏が初めて語る、自分にとっての広島/ヒロシマとは(編集部)>
「出身はどこ?」と聞かれることに、かつての私は少しの煩わしさを感じていました。「広島」と答えると、
相手の表情が変化するのがわかります。その直前まで大笑いしてバカ話をしていたのだとしても、
私の「広島」という言葉は静寂を誘い、そしてこの後「ヒロシマ」について何が語られるのだろうと、
相手はじっと私の次の言葉に期待するのです。
私が育った広島。原爆が落ちたヒロシマ。明らかに相手は私の暮らした場所とは違うイメージを想起しています。
そしてその期待に応えてくれないとわかると、私へのまなざしは落胆をあらわにし、私は自己否定されたような
気持ちになるのです。
大人になると、「そう、原爆の落ちたヒロシマです。私の祖父は戦地にいて被爆していませんが、祖父の家族が
どうなったか祖父は死ぬまで話そうとしませんでした」などと、それらしく話すようになりましたが、これでは何一つ
伝わっている気がしないのです。むしろ祖父の沈黙を犯しているようで、私はヒロシマの何を知っているのだろうか、
ヒロシマを語る権利なんてあるのだろうかと、とても後ろめたい気持ちになるのでした。
私にとってのヒロシマの記憶は、爆音でも、閃光でもなく、夏のムシムシした体育館です。
原爆投下の8月6日が近づくと、広島では夏休みに登校して平和教育を受けます。
床にバスケやバレーの線が引かれた体育館に生徒たちは学年ごとに整列させられ、
丸一日かけてヒロシマについて学ぶのです。外ではセミが鳴き、空調のない体育館に
生徒たちの汗の匂いが漂います。そして、被爆者が紹介され、原爆投下からこれまでを証言するのです。
長文なので全文はソース元で
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引用元:http://ift.tt/1sdQ7kF
参照元:芸スポニャース
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